排泄物の山 [日々]
東京に戻る新幹線の車中である。
この週末は大阪の不用品処理に時間を費やしていた。
今回、東京から戻るにあたり、過去からの溜まっていた不用品、僕が不在の間に
増えた家具や不用品を一挙に処分することにしたのだ。
それはもう出るわ出るわ、凄まじい量の不用品の山。
もう見たくない!と言いたくなる量だ。
大阪の本もおよそ1000冊、処分に出した。
それでも全然荷物が減ったように思えないのが不思議だ。
不用品やゴミは生きている証だと思う。
つまり排泄物とおなじだ。生きることは排泄することと同義だなのだ。
人間は排泄物を見たくないからといって食べるのをやめられるわけではない。
色々買ってしまうこと、手に入れて保持することは食べることと同義。
ならば、しばらくぼんやりしていると排泄物が山になるのもやむを得ない。
それでも、不用品の山を見ると気が滅入る。
仕方ない事ではあるのだが。
この週末は大阪の不用品処理に時間を費やしていた。
今回、東京から戻るにあたり、過去からの溜まっていた不用品、僕が不在の間に
増えた家具や不用品を一挙に処分することにしたのだ。
それはもう出るわ出るわ、凄まじい量の不用品の山。
もう見たくない!と言いたくなる量だ。
大阪の本もおよそ1000冊、処分に出した。
それでも全然荷物が減ったように思えないのが不思議だ。
不用品やゴミは生きている証だと思う。
つまり排泄物とおなじだ。生きることは排泄することと同義だなのだ。
人間は排泄物を見たくないからといって食べるのをやめられるわけではない。
色々買ってしまうこと、手に入れて保持することは食べることと同義。
ならば、しばらくぼんやりしていると排泄物が山になるのもやむを得ない。
それでも、不用品の山を見ると気が滅入る。
仕方ない事ではあるのだが。
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